浄土宗神奈川教区教化団からの依頼により、今まで寄稿したきたテレホン法話が納められています。特に住職の音声の入った法話は、平成23年8月、平成24年4月、平成25年8月、平成26年4月に納められています。どうぞ、一人でも多くの方々にお聴き頂けましたら幸いです。
これは佐賀県唐津市の浄泰寺様、秋の彼岸会法要でのお説教(約1時間)です。この時は、大事な所で無線のマイクが近くのカラオケの音を拾ってしまい、本堂にカラオケの歌が流れてきてしまい困ってしまいました。お説教はライブです。どんなアクシデントが起こるかわかりません。(笑) この法話を聞いて頂き、お説教の雰囲気を少しでも味わって頂けたら幸いです。
この間、新聞を見ていたら、こんな詩が掲載されておりました。
「人間、何の為に生まれた。 身体の不自由な人は、自分が何の為に生きているか、
なんて思ったり。私も、何の為に生きているのか、勉強するためか、遊ぶためか、
生きる為に生まれてきたのか、よく分からない。人間、何の為に、どうして生れてきたの、
最後はみんな無くなっちゃうのに」
これは茨城県の小学校4年生の女の子が書いた「人間」という詩です。きっと、この子の
そばに、病気や障害をお持ちの、身体の不自由な方がいらっしゃるのかも知れません。
そんなご苦労をされいる姿、苦しみだけの人生を見ていると、人間は、みんな死んで
無くなってしまうのに、この人は、毎日、何の為に生きているのだろうか、また女の子、
自身も何の為に生きているのか、人生の目的がよくわからないと言うのです。
皆さん、人間は何の為に生きているのでしょうか。食べて寝て、排泄をして、決して
生きる為に生きている訳ではありません。美味しいものを食べる為、大きな家に住む為、
きれいな服を着る為・・・・・。
「人間、何の為に生れてきたの、最後は無くなっちゃうのに」、この言葉の前には、
すべてが空しく聞こえます。
人間は何の為に生まれ、何をする為に今を生きているのか。この人生の目的が、はっきり
しないと、すべてがぼやけてしまいます。また人生の目的、ゴールをはっきりさせることの
出来る宗教によって初めて、人生の役割や使命、生きがいが出て来るのです。
仏の教えに出会い、お念仏の中にアミダ仏様のお守りやお導きを頂き、励まされ勇気づけ
られることによって、どんな苦しみや悲しみにも堪えて行くことが出来る。
そして最後、臨終の夕べにはアミダ仏様のお迎えを頂き、仏の国、永遠の世界に生まれ
変わり、完成された人格者、仏と成らさせて頂くことが出来るのです。